column『アンド・アイ・ラブ・ハーの場合』

column『アンド・アイ・ラブ・ハーの場合』

2024年、春の終わり。高円寺の古着屋「ROKUMEICAN」に複数の店主たちを集めてマーケットを開催することになった。きっかけになったのは、電動自転車でリアカーを引きながら国際フォーラムで開催されている大江戸骨董市に毎月出店している「nichi」の店主・吉田君の存在だった。彼の活動を知ったときから、僕の頭の中でねじが回り始めた。「リアカー、なんてロマンチックなんだろう」と。

column『初めての幸福』

column『初めての幸福』

いつもどおり、池袋・三福のカウンター。もうそろそろ70代後半かな?と見える、杖をついた紳士(ストローハットとネイビーシアサッカーのジャケット姿)が僕の隣席に着席。座りながら「生ビール、ひとつ」とオーダーした。続けてホールの子に「俺、初めてだからどこ見ていいか、ワカンナイや」と告げる。ホールスタッフのミスタがホワイトボードと卓上メニューを指さしながら「ココとココに(メニューが)書いてあるヨ」と答える。彼の方を見ることなく、耳だけでなんとなくそちらの様子を窺っていると老紳士は「かつお刺し」を注文し、そのすぐ後に「あと、アレ、なに?え、もつ煮込み?じゃあ、それをひとつ」と続けた。

column『見つめ続ける』

column『見つめ続ける』

いつもの池袋。行きつけの居酒屋。藤田さんに魚でも焼いてもらおうと思いながら、いつもの暖簾をくぐる。くぐりながら、今日は藤田さんがいないことを即座に認識して(藤田さんは入り口すぐの焼き台前が定位置だから)ちょっと拍子抜け。とりあえずカウンター席に着き、自動的にチューハイが運ばれてくる。   「そうか、藤田さんはいないのか」とあたりを見回したところ、1階のホールスタッフは見慣れない顔ばかり。しかし、ほぼ満卓。「おお、今日は新入り中心シフトの日なのに、こりゃ大変だ」と老婆心。実際のところ、フロアはちょっとカオティック。オーダーが通らない、店内の階段に並びながら待つ客の中には「いくらなんでも……

column『鳩目線』

column『鳩目線』

ある日、最寄り駅前の広場を歩いていたら、うじゃうじゃと20羽程はいるであろう鳩の群れが我先にと争いながら小分けにちぎられたパンの耳を一心不乱についばんでいた。誰かがいつもこのあたりで餌付けしているのだろうか。ふと見ると、その傍に70代半ばくらいに見える二人の爺さんが手を後ろに組んで突っ立っていた。二人とも青色のナイロンジャンパーを揃いで羽織っており、バックプリントされた黄色い文字を見る限り、どうやら彼らは駐車監視員(違法駐車を取り締まる警察官以外の監視員)のようだ。   爺さんたちは駅前に蔓延る違法駐輪の自転車には目もくれず、餌に群がる鳩たちを眺めながら二人して柔らかな微笑みを浮かべ……

column『読めない』

column『読めない』

まるっきり読むことができない。まるっきり観ることができない。突然、何の話かといえば、もうかれこれ半年以上もの間、僕はまるっきり読むことも観ることもできなくなってしまっているのだ。あれほど大好きだった映画も、時間を見つけては滑り込んでいた美術館の展示も、(そもそも大した読書量ではなかったけれど)たまに欲していたはずの活字も、最後に触れたのがいつの何だったのかを思い出せないほど、まるっきりできなくなってしまった。たしかにフリーランスになってからというもの、仕事のために割く時間は圧倒的に増えたし、生活のリズムはガタガタになってしまった。とはいえ、僕よりも忙しい人なんて世の中にはごまんといるし、仕事が……

column『回転する居酒屋』

column『回転する居酒屋』

もう半年くらい前の話だろうか。行きつけの居酒屋のカウンター席で一人、ぼんやりとチューハイを飲んでいた。入り口に一番近いその席の前にはレジがある。レジの背後には二階席へつながる階段がある。焼き場を切り盛りする大将と軽い雑談をしたり、二階から会計に降りてくる人々の様子をなんとなく観察したりしながらボーっとできるので、店内の隅っこにあるその席は僕のお気に入りだった。   一階にある焼き場の大将・藤田さんは僕の顔を見ると「今日は鯵がいいぞ」とか「サンマだな、今日は」などと焼き魚をオススメしてくれるので、その晩はカマスの開きをチビチビと箸でつついていた。そのうちに、二階から降りてくる男二~三人……

column『DEAD KENNEDYS CLOTHING IMAGE LOOK 2023 の場合』

column『DEAD KENNEDYS CLOTHING IMAGE LOOK 2023 の場合』

  ほとんど一年近くを費やして、ようやく僕の手元にDEAD KENNEDYS CLOTHINGの製品が届くことになった2023年11月末。商品自体は12月のポップアップでお客様にお披露目するとして、まずはそれらが僕の手元にあるうちにイメージルックの制作をすませておきたいと思った。いざ、キャスティングについて考えを巡らせてみると、色んなモデル候補が頭の中で暴れ出す。あんな人こんな人に着せてみたい、それは作り手のエゴだ。ただ、実際にこれらの商品を販売するときには「この洋服を着たい、と心から思う人にこそ着てほしい」というのが本音だろう。キャスティングの前に、コンセプト。自分にそう言い聞かせ……

column『上海蟹食べたくない』

column『上海蟹食べたくない』

僕はエビ、カニなど甲殻類の食べ物が嫌いだ。厳密に言えば「味は好きなんだけど殻を剥くのがメンドクサイ」。 寄せ鍋のエビや蟹汁のカニなど、汁に浸っている甲殻類があれば隣の人に「食べていいよ」と言って譲ってしまう。 逆に、 誰かが代わりに殻を剥いてくれたカニの身が目の前のボウルに山と盛られていればきっとエンドレスで食べ続けるだろう。同じ理由でカニちらしやエビフライは食べる。何かとてつもないわがままを言っているような気にもなってきたが、ともかくこれはすべて「食べたい < メンドクサイ」という感情から派生するものだと思っていた。しかし。   この前、居酒屋で焼き魚(ホッケだったか、サバだったか……

column『鬼ヶ島』

column『鬼ヶ島』

或る夕暮れ、いつもの店にふらりと立ち寄ってみたところ、メインカウンターが満席だったため店内最奥の小さなカウンターに通された。そのカウンターには60代のおじさんが先客として座っており、僕は彼の隣に着席した。横並びになった僕とおじさんの背後には4人席のテーブルがふたつ配置してある。テーブル席の片方には女性4人組が陣取っている。   僕が席に着いた時点で女性4人組の会話は既にヒートアップしており、僕とおじさんの背後から飛んでくる声量はかなり大きい。チューハイが運ばれてくるまでの間、なんとなく彼女たちの声を聞いていると、リーダー格の1人が口角泡を飛ばしながら弁舌捲し立て、会話の大部分を支配し……

column『人のふんどしで暇つぶし』

column『人のふんどしで暇つぶし』

いつだったか「古道具坂田」の店主・坂田和寛氏が蒐集したアフリカの腰巻きを100枚近くまとめて展示する、というエキシビジョンを見に行ったことがある。その腰巻きは、アフリカ中央部のコンゴ熱帯雨林に暮らすピグミー族が樹木の皮を剥がし木槌で打つことで繊維と繊維を絡ませて作った「タパ」と呼ばれるものらしい。展示してある「タパ」の一点一点には(動物や昆虫や星など)自然界にあるものをモチーフにした幾何学柄が多様に描き込まれていた。   熱帯雨林の奥深くに住む民族が日常的に使用していた「タパ」だが、これがヨーロッパに伝来した際、現代美術として高く評価されるようになったらしい。美術評論家たちは、この複……

column『AYARIさんの場合』

column『AYARIさんの場合』

AYARIさんとは青山一丁目のカフェで待ち合わせた。非職業モデルの人々を中心に撮影してきたNEJIの作品撮り=STUDYとしてはモデル事務所所属のプロに仕事を依頼するのはこの時が初めてだったので、僕も少し緊張していた。カフェに付いた瞬間、(あたりを見回すまでもなく)店内奥にすらりとしたオーラを見つけた。彼女の席の横に立ち、「お待たせしました。はじめまして、鶴田です」と挨拶をすると、AYARIさんも直ぐに立ち上がり笑顔で自己紹介を返してくれた。僕と同じくらいはありそうな長身だが、頭身バランスが全く違う。身長176㎝、股下86㎝らしい。   彼女のことを知ったのは前職時代の後輩がスタイリ……

column『自意識の秋』

column『自意識の秋』

10月の終わり、池袋の居酒屋。ゆれる短冊に「焼きさんま」とある。しかもよくよく見ると「焼きさんま(生)」と書いてある。ぁあ、まだ暖かいけど秋だ。旬。どうしようかな、とりあえず目の間にあるまぐろ納豆とツナサラダを食べながら考えるか。とその時、隣に着席したサラリーマンが「ホッピーと、焼きさんま」と素早くコールした。 あ、やられた。これでは、あとで頼んだときに「俺の真似したな」と思われる。いや、どーしよー、なんて考えているうちに、隣のさんまがテーブルに運ばれてきた。 見てしまった。その姿を見てしまったから、ますますやられた。なぜなら「真似したな」だけではなく「俺の席に運ばれてきた美味そうなさんまを見……

column『裏返し生活』

column『裏返し生活』

早いもので、フリーランス生活に突入して10か月が経とうとしている。いまにして思えば、20数年間は拘束時間(つまり、ショップの営業時間=勤務時間)のある会社勤めを続けていたので、あれはあれで「規則正しい」生活であったな、としみじみ感じ入ったりもする。一方でフリーランス、とりわけNEJIのように「ファッションにまつわるアレコレを手掛けています」という漠然とした職種の場合、あらゆる規則正しさは破壊されて見る影もない。フリーランスとして働く編集者やカメラマン、ライター、スタイリストなんかもきっとそうなのだろう。よくよく考えてみると、今の僕はたった今列挙したような職種の間を飛び石の上を跳ねるように行った……

column『バンさんの場合』

column『バンさんの場合』

バンさんとは2年ほど前にBEAMSの店頭で初めて会った。MANHOLEの顧客だったバンさんが転職のためのスーツを必要としているということで、MANHOLE店主の河上が僕を紹介してくれたのだ。バンさんからのリクエストは「着回しやすく、ベーシックなトータルコーディネート2セット」ということだった。当時BEAMSで売られているスーツの中で最もオーソドックスなモデルのグレー無地とネイビーストライプを事前に手配して、当日の来店を待った。   そして当日。物腰が柔らかく、控えめな声量、丁寧な言葉遣い。マッシュルームカットでメガネ姿のバンさんに「はじめまして、鶴田です」とあいさつを済ませると、さっ……

column『やきとん屋の焼き魚』

column『やきとん屋の焼き魚』

もう、かれこれ7~8年くらいの間、僕が通い続けている1軒の居酒屋。いつも1階のカウンター席にひとりで座るんだけど、通い始めて3年が経つ頃から焼き場を取り仕切る「藤田さん」という60代の大将に話しかけられるようになってきた。基本的には静かに飲んでいる僕も藤田さんに話しかけられると普通に受け答えをするが、15席が1列に並んだカウンターではどのお客も静かにひとり飲みを楽しんでいるので、会話の尺は周りの空間を邪魔しない最低限のものになる。いつからか、その藤田さんが僕にメニューの中からおすすめを提案してくれるようになった。   この店は「やきとん屋」なので、初めのころは僕も普通に「はつ」や「か……

column『キシさんの場合』

column『キシさんの場合』

キシさんはBEAMS時代の同僚。厳密にいうと、僕よりも数年あとに中途入社してきた3つ年上の後輩なので、お互いになんとなく敬語使いのまま出会ってから10数年が経っている。キシさんはBEAMSのスタッフになる前、議員秘書をやっていたという異色の経歴の持ち主。学生時代はラガーマンだったらしく、体つきもがっちりしている。そのうえ、スキンヘッドで大髭。これで普段は物静かなのだから、キャラとしては特濃だと思う。   彼はBEAMSのなかでもスーツ売り場の担当だったので、僕とキシさんは同じフロアで働いたことがない。原宿のBEAMS Fにキシさんが所属していたころ、僕は隣の店にいた。会えば挨拶を交わ……

column『やきとんと野球帽』

column『やきとんと野球帽』

池袋のやきとん屋では、レジ前のカウンター席が僕の定位置だ。ここに座っていると会計するお客たちの人間模様を観察できるし、レジ横の焼き台にいる藤田さんと他愛ない会話を交わすのが楽しみでもある。   或る昼下がり、二階から降りてきたお客が会計を待ちながら僕の方をじっと見下ろしている気がした。なんとなく彼の下半身に目をやると、左腰に「THOM BROWNE」というブランドタグが見えた。紺色の鹿の子Tシャツに水色のコードレーンパンツを穿いている。「小汚いやきとん屋に、お洒落なお客が来るもんだ」と思っていると、頭上から「その野球帽、どこで売ってるの?」と声がした。見上げると60歳前後の初老男性。……

column『ヨウメイさんの場合』

column『ヨウメイさんの場合』

ひょろりとした長身、短髪にメガネ姿。物静かな風貌の奥底には、確かに何かが潜んでいる。ヨウメイさんの第一印象はそんな感じだった。ヨウメイさんの奥様は僕の前職BEAMS時代の先輩で、現在は深川で雑貨店を営んでいる素敵な女性だ。奥様を介して、僕はヨウメイさんに出会った。錦糸町のタイ料理屋で賑やかなメンバーと一緒に食事したり、夫婦そろってBEAMSにスーツを買いに来てくれたこともあった。   数年前のある時、ヨウメイさんから「今度一緒に飲みませんか?」と連絡が来た。快諾した僕は池袋にある赤提灯の店で酒席を設けた。二人きりだった。ヨウメイさんは旅先からそのまま池袋に立ち寄られたようで、お土産に……

column『見えざる目』

column『見えざる目』

先日、友人が運営する飯田橋のアートギャラリー「roll」へと足を運んだ。写真家・木村和平氏の写真展『石と桃』が開催されており、僕は友人への差し入れとしてコンビニで買ったハッピーターンを握りしめて地下鉄C1出口への階段を上った。   会期初日ということもあり会場にはすでに3~4組ほどの来客。木村氏も在廊していたので、しばらく作家本人と話し込んだ。聞けば木村氏は幼少期から「不思議の国のアリス症候群」という症状を抱えて生きてきたという。Wikipediaによると、この症状は「知覚された外界のものの大きさや自分の体の大きさが通常とは異なって感じられることを主症状とし、様々な主観的なイメージの……

column『ゆれる』

column『ゆれる』

夏。この猛暑のせいで居酒屋の各店は空調をガンガンに効かせている。壁に掛けられた短冊メニューがクーラーの風に吹かれて揺れている。   「もずく酢」「もつ煮込み」「たらこ茶漬け」「焼うどん」…、そのどれもがこちらに向かって手を振りながら「僕を注文してよー」とアピールしているように思える。みんな可愛らしい。しかし、こちらの胃袋は一つしかない。揺れる短冊の中から、手のスウィングが最も大振りでダイナミックなものを選べば、「梅茶漬け」か「ライス」ということになるのだが、入店して3分の僕はまだ〆の一品を頼むわけにはいかない。如何に僕が酒好きであろうとも白飯で焼酎を飲むほどには、まだ熟練しておらぬ。……

column『Vaseシーズンルックの場合(前編)』

column『Vaseシーズンルックの場合(前編)』

中目黒にあるセレクトショップ・Vaseのシーズンルックを制作することになった。当初はオーナーの平井さんに「鶴田君、モデルで出演してよ」と誘われていたのだが、僕はモデル稼業ではない。「せっかくなら作る方をやらせてくださいよ」とお願いしたところ、スタイリングとディレクションを任せてくれた。平井さんは同郷・熊本の先輩。10年以上前に共通の知人を介して知り合った。優しいのか義理堅いのか面倒見が良いのか超テキトーなのか分からないけれど、バラックのようなセレクトショップを中目黒で16年も続けているなんて、やっぱりちょっと変わった人だ。とりあえず僕にはいつも良くしてくれる。   僕がモデルに誘われ……

column『宇宙の匂い』

column『宇宙の匂い』

4年ほど前、新宿で開催されていた浅井健一氏の個展『宇宙の匂い』へと足を運んだ。同名タイトル詩集の出版記念を兼ねた展示だったと思う。 1991年にデビューした伝説的バンドBLANKEY JET CITYをはじめ、SHERBETS、AJICOなどの音楽を通じて氏の世界観に触れてきた僕は『宇宙の匂い』というタイトルに対して違和感を覚えないままに受け入れてしまったが、よくよく考えてみると、そもそも宇宙に匂いなんてあるのだろうか?   『宇宙の匂い』について僕が4年ぶりに考えることになったのは、先日、柿ピーを食べながら家でビールを飲んでいた時のこと。小分けにされた菓子袋の裏側に書いてある豆知識……