フィレオ・フィッシュの小骨

『キシさんの場合』

キシさんはBEAMS時代の同僚。厳密にいうと、僕よりも数年あとに中途入社してきた3つ年上の後輩なので、お互いになんとなく敬語使いのまま出会ってから10数年が経っている。キシさんはBEAMSのスタッフになる前、議員秘書をやっていたという異色の経歴の持ち主。学生時代はラガーマンだったらしく、体つきもがっちりしている。そのうえ、スキンヘッドで大髭。これで普段は物静かなのだから、キャラとしては特濃だと思う。

 

彼はBEAMSのなかでもスーツ売り場の担当だったので、僕とキシさんは同じフロアで働いたことがない。原宿のBEAMS Fにキシさんが所属していたころ、僕は隣の店にいた。会えば挨拶を交わす程度、それほど深く話したことはなかったけれど「スーツを着ても古着を着ても、何を着てもキシさんはキシさんのままだな」という印象の人だった。そのうちにキシさんは横浜の店舗へ異動していった。

 

あるとき、BEAMS F担当の内勤スタッフから「キシさんが鶴田さんと一緒に飲みたがっています。いろいろと訊きたいことがあるらしいです」と誘われた。僕は「是非行きましょう」と返した。なぜだか、僕にはこの手の話が多い。酒飲みキャラが社内外で確立されているのは(実際にそうだから)いいとして、一緒に飲むと何かありがたい話でもしてくれそうなイメージがあるのだろうか。僕は普段から少し変わった洋服の着方をしている(らしい)ので、クラシックなスーツスタイルを愛する人々からは珍奇な生き物として見られているのかもしれない。ともかく、いったい何を尋ねられるのだろう。

 

その日、僕は誤ってダブルブッキングをしてしまっていたため、一軒目を早々に切り上げてキシさんともう一人(誘いを仲介してくれた内勤スタッフ)が待つ居酒屋へ向かった。座敷にいた二人に「お待たせしました」と言いながら僕も着席し、グラスに瓶ビールを注いでもらう。しばらくの間、静かに杯を交わすが、キシさんは武士のような面持ちで不動のまま。ほとんど喋らない。まるで地蔵のようだ。もう一人が「キシさん、何か訊きたいことがたくさんあるんじゃないですか?」と促すと、ようやくキシさんが口を開いた。「あの、映画って毎晩観られるんですか?ファッションの参考になる映画って何ですか?」と、振り絞るような声を発した。強烈に真面目だ。結局、0時前になってもキシさんはその調子だった。飲むとべろべろに酔っぱらう人だと聞いていたので、ちょっと肩透かしをくらったような感触だった。酒が足りなかったのだろうか?

 

後日、同席していたスタッフに聞いたところ「あの晩のキシさん、めちゃくちゃ緊張してましたよ。猫、かぶってました。普段なら陽気な絡み酒になるんですけど。自分から誘っといて、あの内容で、自分は先に終電で帰るなんて、なんかスミマセン(笑)」と言っていた。やはり、不器用な人だった。多分、本当に洋服が好きなのだろう。そして、なぜか僕に好意を抱いてくれている。元・議員秘書だから(社歴上は)目上の僕を必要以上に立ててくれたのかもしれない。その感情が混然一体となって、硬直した質問ばかりを投げかけてしまったのだ。

 

そしてSTUDY。キシさんにLINEでモデルをお願いしたところ「ご無沙汰をしております。ご依頼ありがとうございます。私などでよろしければ、お使いください」と、武士を超えて、もはや鉄砲玉のような返事が返ってきた。キシさんのために用意したのは2コーディネート。ひとつはOLD ENGLANDのカシミア混ツイードジャケットにカシミアのチェックタイ。キシさんの剛毛髭とは対照的に柔らかく上品な素材を合わせてみた。初期型M-47をハイウエストで穿いてもらいジャケットごとパンツイン。ハード&ソフトな質感がキシさんっぽい。もうひとパターンは、キシさんのLINEアイコンからインスパイアされた。海辺をランニング中のキシさんがお子さんを腕に抱いている写真。ミラーレンズのスポーツ用サングラスも白いランニングショーツも抜群に似合っている。当日はこのコーディネートをそのままスタジオに持参してもらい、その上から1990年代RUFFOの超絶・ラグジュアリーなムートンコートを重ねた。「なんか、アラスカ国際マラソンってかんじですね。完走後、ベンチコートの代わりにムートンを羽織る、みたいな」と僕が声をかけると、キシさんは低い声で控えめに笑った。

 

後日、別件での撮影にモデルとして協力してもらった後にキシさんと新宿のやきとん屋で一緒に飲んだ。撮影の緊張と疲れもあったのだろう。というか、キシさんがワンカップを飲む姿を新宿のしょんべん横丁で撮らせてもらったので、撮影が終わる頃、キシさんは既にまぁまぁ出来上がっていた。前回のような緊張の面持ちは早々に解きほぐれ、両手で武藤敬司のポーズを取りながらご機嫌にホッピーを飲んでいるキシさんの写真が僕のカメラに収まっている。武士の一分、硬く柔らかいSTUDY No.6。

 

2023.10.02