フィレオ・フィッシュの小骨

『ヨウメイさんの場合』

ひょろりとした長身、短髪にメガネ姿。物静かな風貌の奥底には、確かに何かが潜んでいる。ヨウメイさんの第一印象はそんな感じだった。ヨウメイさんの奥様は僕の前職BEAMS時代の先輩で、現在は深川で雑貨店を営んでいる素敵な女性だ。奥様を介して、僕はヨウメイさんに出会った。錦糸町のタイ料理屋で賑やかなメンバーと一緒に食事したり、夫婦そろってBEAMSにスーツを買いに来てくれたこともあった。

 

数年前のある時、ヨウメイさんから「今度一緒に飲みませんか?」と連絡が来た。快諾した僕は池袋にある赤提灯の店で酒席を設けた。二人きりだった。ヨウメイさんは旅先からそのまま池袋に立ち寄られたようで、お土産にドレッシングをくれた。行先は東北かどこか(その方面)へのひとり旅だったと記憶している。転職のタイミングで時間ができたので、ぶらりと出かけたらしい。ヨウメイさんは企業の総務職として長年勤務しており、次も総務職を希望するらしい。なぜ総務一徹なのかと尋ねたら「淡々と続けることができるので」と言った。ヨウメイさんは趣味人だ。定期的にDJとして活躍するほど音楽への造詣が深い(しかも雑食)。また、自他共に認める「鉄ちゃん」、すなわち鉄道オタクでもある。ほかにも、建築巡りや旅行など、実に多趣味な人だと思う。そして、多趣味な自分に集中するために「淡々と職務を遂行する総務職」を続けていると言う。勿論、総務職に就くすべての人が日々を淡々と過ごしているわけではないし、ヨウメイさんが職務中に手抜きをしているとはまったく思わないが、仕事に「やりがい」を求め過ぎる時代においてヨウメイさんの職業選択基準は「仕事は生きがいの一部に過ぎない」という矜持にも思えた。

 

ということでSTUDY。作品撮りのモデルとして、僕のオファーを快諾してくれたヨウメイさんに何を着せようか。東東京の下町、電車オタク、DJ、メガネ。その人を形作る諸要素に思いを巡らせ、想像を膨らませる。結果的にクラシックなPOWチェックのフランネルスーツと英国製のブレザーを着てもらうことにした。以前にスーツを購入していただいた記憶から、体型は把握している。サイズの合うテーラードアイテムをきちんと着せ付ければ、大人の男性ならば大概はよく見えるはずなんだけれど、ヨウメイさんの飄々とした文系キャラクターを生かすために一寸遊びを入れてみることにした。英国様式のタイドアップスタイルには大竹伸朗展で購入した一合帆布の前掛けをプラス。ブレザースタイルには70‘s adidasのフランス製トラックパンツと地下足袋(マルジェラではなく、本物の地下足袋)をセット。頭にはねじり鉢巻きを巻いてもらうという、架空の江戸っ子パロディ。何屋さんなのか分からない町人の肖像。ということで自宅を探したら、ねじり鉢巻きに打ってつけの手拭いが出てきた。20年ほど前まで渋谷・宇田川町にあった「やしま」といううどん屋のオリジナルだ。

 

20代前半のころ、僕の休日といえば「渋谷でレコード屋を覗く→やしまでうどん→丸山町のライブハウス→龍の髭で夜飯」と相場が決まっていた。その後、レコード屋は次々と廃業し、「やしま」は代々木八幡へ移転し、「龍の髭」は閉店した。僕は渋谷へ行かなくなった。それからしばらくしてコロナ過がやってきた。ネット上で「やしま」の存続資金を募るクラウドファンディングを見かけて一票を投じた際の返礼品が、食事券とこの手拭いだった。僕にとって宇田川町の思い出が詰まった「やしま」の手拭いは、レコードオタクのヨウメイさんにとてもよく似合っていた。僕が鉢巻きをねじりながら「ねじり鉢巻きは初めてですか?」と背後から尋ねると、ヨウメイさんは後頭部越しに「初めてです」と答えた。帰り際、ヨウメイさんは「蚤の市で見つけたので、よかったら」と言って、映画「アニー・ホール」の古いパンフレットを手渡してくれた。モデルを引き受けてくれた上に、手土産まで。僕はなんだか恐縮してしまったが、素直に嬉しかった。スタイリングとは「単なる洋服の組み合わせ」だけではなく「その当日までにお互いがお互いについて考えを巡らせる時間の濃度によっても出来栄えが左右されるんじゃないのかな」などと思いながらヨウメイさんの写真を眺めている、STUDY No.10。

2023.10.02