笛を吹いてアルコール

『自意識の秋』

10月の終わり、池袋の居酒屋。ゆれる短冊に「焼きさんま」とある。しかもよくよく見ると「焼きさんま(生)」と書いてある。ぁあ、まだ暖かいけど秋だ。旬。どうしようかな、とりあえず目の間にあるまぐろ納豆とツナサラダを食べながら考えるか。とその時、隣に着席したサラリーマンが「ホッピーと、焼きさんま」と素早くコールした。

あ、やられた。これでは、あとで頼んだときに「俺の真似したな」と思われる。いや、どーしよー、なんて考えているうちに、隣のさんまがテーブルに運ばれてきた。

見てしまった。その姿を見てしまったから、ますますやられた。なぜなら「真似したな」だけではなく「俺の席に運ばれてきた美味そうなさんまを見て、おまえ真似したな」という屈辱までが付いてくる。いま、ホッピーを飲み終わりながら、人生最大最強のレベルで、さんまを我慢している。すかさず、ホールスタッフのお姉さんが甘い声でサラリーマンに尋ねる。

「どう?美味しい?」「美味しいね。今シーズン初めてのさんまだよ」「そうでしょ、生だからね、これ。生さんま」

いや、知ってる。生、って書いてある。さぞ、うまかろうよ。

さっきからずっと、猛烈に我慢している。なんという好機後逸。なんという自意識過剰。リベンジとして、隣のサラリーマンが思わずわしの真似をしたくなるようなメニューを短冊の中から探そうとするが(もはや仇討ちの了見を超えた逆恨み)、何往復したところでやはり視界に飛び込んでくるのは「生さんま」。ラブ。ウォンチュー。さっきからわしは、脳内で何をフラフラと考えているのか。とりあえず、いまの想いをスマホのメモ欄にテキスト化し始める。それによって「わしの入店目的は、さんまではなくコラム執筆である」と、半強制的に言い聞かせることにした。

いよいよ記事を書いている間に、隣のサラリーマンは焼きさんまを綺麗に食べ終えようとしている。ちょうど、このコラムも書き終えるところだ。よし、今しかない。あのお姉さんが斜向かいの卓を拭き終えたら「焼きさんま、ください」と、朗らかな口調でコールすることを決意する。

もう拭き終わる。もうすぐだ。3…2…1…、せーの。

「焼きさんま、ください」

わずかな間隙を縫って、朗らかにコールしたのはふたつ隣席のオヤジだった。わしの眼の前にある食べかけのまぐろ納豆がどんどん乾いていく。

 

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2023.10.24