笛を吹いてアルコール

『見つめ続ける』

いつもの池袋。行きつけの居酒屋。藤田さんに魚でも焼いてもらおうと思いながら、いつもの暖簾をくぐる。くぐりながら、今日は藤田さんがいないことを即座に認識して(藤田さんは入り口すぐの焼き台前が定位置だから)ちょっと拍子抜け。とりあえずカウンター席に着き、自動的にチューハイが運ばれてくる。

 

「そうか、藤田さんはいないのか」とあたりを見回したところ、1階のホールスタッフは見慣れない顔ばかり。しかし、ほぼ満卓。「おお、今日は新入り中心シフトの日なのに、こりゃ大変だ」と老婆心。実際のところ、フロアはちょっとカオティック。オーダーが通らない、店内の階段に並びながら待つ客の中には「いくらなんでも待たせ過ぎだろ!」と怒って退店する者もいる。この状況をコントロールできる者がいない。

 

ふと、僕の席から3つ隣にいる客が騒ぎ立てているのが聞こえた。どうやら、ホールスタッフのひとり(たしかマレーシア出身の男の子)を捕まえて、あれこれ言っているようだ。「いやさ、ここの焼き場にいるあの人、名前何だっけ?(藤田さんのことらしい)あの人さ、外国人スタッフに厳しすぎないか?いつもアレコレ言われてるでしょ?あの人に。この前、君の兄ちゃんも大声で叱られてたぞ」「イヤ、そんなことないデス、ダイジョブ。ジブンがもっとがんばらないとイケナイ」「いやー、あの世代の人達はさ、海外なんて行ったことない人たちばかりだから、外国で現地の言葉を覚えて一生懸命働くことの大変さが分かってないんだよ!日本語を覚えて、注文を取るだけでもスゴイってのに」「イヤ、ボクのニホンゴ、まだヘタクソ」「それにひきかえ、あの人、日本人スタッフに甘すぎるんだよ。むしろ日本人の方がオーダーを取り違えるわ、出す順番もめちゃくちゃだわ…叱るならあっちの方でしょ!全然使えないよ、あの子たち」と、その場にいない藤田さんの文句ばかりを大声でまくし立てている。当然だが、藤田さんの名前を知らない時点で、彼は大した常連客ではない。見た目は30代後半から40代前半、スタートアップ企業でマネジメントでもやっているのだろうか。その後も「藤田さんは日本人に甘く、外国人に厳しい差別主義者だ」的なことを延々と語っていた。しかし、僕は思う。

 

まず、お前は知らない。

 

僕がこの店に通い始めた10年近く前、この店のホールスタッフは日本人ばかりだった。そして、そのほとんどは女性スタッフだった。今にして思えば、彼女たちは圧倒的に優秀だった。この店の1階はウナギの寝床のように細長い18卓のカウンター席。通路はすれ違うこともできないほど狭いため、ほとんどの場合彼女たちは前衛(入り口側に立ち会計を担当する)と後衛(店内最奥に立ちドリンクを作る)に担当を分け、18人並んだカウンター客の後ろをすり抜けながらパスワークを駆使して料理や飲み物を提供していく。取った注文は大声で厨房へ通す。自分が取っていない注文を含め、よく周りを見ていたのだろう、聞いていたのだろう。カウンター席~店内最奥のテーブル席まで、オーダー内容のほとんどが彼女たちの頭の中には入っていたので、厨房から出てきた料理は迷わず(そして注文の順番通りに)客の手元に提供されていた。そして、藤田さんはそれだけ仕事ができる彼女たちに対しても圧倒的に厳しかった。それでも、彼女たちはベテランの域に達するまで2年も3年もこの店で働き続けていたし、繁盛店の厳しさの合間に藤田さんと談笑する彼女たちはとても頼もしかった。お店全体が安定していた。ということを、お前は知らない。

 

そしていつの間にか、ホールスタッフは入れ替わり始めた。あの子、最近見かけないな…と思ったら、新入りらしき顔ぶれが増えている。どのお店も同じことなのだろうけれど、血が入れ替わるようにホールスタッフも代謝する。主力部隊だった彼女たちも段々と卒業していく。変わらないのは厨房にいる60代・70代だけ。現在、このお店のホールスタッフで最も古株なのは、キャリア4~5年のマレーシア人・ビスタだろう。彼女が一人いるかいないかで1階の戦況は激変する。それほど、現在はホールスタッフの層が薄い。ホールスタッフ全体の比率は日本人:外国人が3:7。通常テーブル席の2階に比べて圧倒的に機転や記憶力やスピードを求められる1階に、日本人はほとんどいない。たまに2階席に上がると、ぼんやりとした日本人スタッフが「あ、まだこの子やめてなかったのね」という感じでウロウロしている。要するにこのお店、1階に立っているのが主力、2階に配置されているのが2軍なのだ。勿論、これまでに日本人スタッフが入社してくることは幾度となくあったが、みな長続きせず、2か月程度でいなくなってしまった。あとに残ったのは、ビスタをはじめとする現在の主力級外国人2~3人、辞めることもないけれど1階には一生降りてこないであろうぼんやりとした日本人たち、そして件の説教を食らっていたマレーシアの彼ら若手の外国人。ここまで書けば、もうなんとなく分かると思うけれど、要するにマレーシア人の彼は「見どころがあるから厳しくされている」のだと思う。だからこそ彼は1階に立ち、藤田さんに叱られながらも頑張っているのだ。良い顔をしている。藤田さんから厳しく指導されることもなく辞めていった日本人たちは、客の僕から見ても初めから見どころが無かった。

 

藤田さんだって、きっと初めは日本人も外国人も同じように仕事を教えていたのだろう。しかし、やる気のない子たちに対して熱心な指導をしてもぬかに釘、すぐに辞めてしまう。辞めることもないくらいぼんやりとした子たちは2階でぬか床を作っている。この店は並びができる繁盛店。毎日が戦場のような忙しさの中で、人材の不足を痛感しながら藤田さんは幾度となく悲しみを感じてきたことだろう。大企業のように「マネジメント」「人材育成」なんて言っている場合じゃない、池袋の狭く汚い居酒屋だ。日本人ならば別にこんなところで働かなくても、よそにいくらでもバイト先はあるのかもしれない?外国から来た若者たちは気合が違う?いや、果たしてそれだけだろうか。今、自分の目の前にある環境に対して一生懸命になれないのだとしたら、どこで何をやっても同じだろう?「日本人、もっとがんばれ」とか、別に国籍で分けて考えるまでもなく「若者、もっとがんばれ」。そして「俺、もっとがんばれ」と思う。

 

写真家になることを夢見て北海道から上京してきた藤田さんは、この店で40年もやきとんを焼いている。灼熱の夏も大雪の日も、目の前にある焼き台だけをじっと見つめて続けてきたはずだ。「あの人は海外で働くことの大変さが分かってない」だって?ばかやろー。40年も同じところに立ち続ける人間だけが知る言葉がきっとある。そして、その人がニヤリと笑いながら話しかけてくる「ほっけでも焼くか?」という言葉が好きで、僕は今日もこのカウンター席でやきとんを焼く皺だらけの手を見つめ続けている。

 

2024.02.22