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日常のサハンジ
『鳩目線』
ある日、最寄り駅前の広場を歩いていたら、うじゃうじゃと20羽程はいるであろう鳩の群れが我先にと争いながら小分けにちぎられたパンの耳を一心不乱についばんでいた。誰かがいつもこのあたりで餌付けしているのだろうか。ふと見ると、その傍に70代半ばくらいに見える二人の爺さんが手を後ろに組んで突っ立っていた。二人とも青色のナイロンジャンパーを揃いで羽織っており、バックプリントされた黄色い文字を見る限り、どうやら彼らは駐車監視員(違法駐車を取り締まる警察官以外の監視員)のようだ。
爺さんたちは駅前に蔓延る違法駐輪の自転車には目もくれず、餌に群がる鳩たちを眺めながら二人して柔らかな微笑みを浮かべていた。彼らの目には駅前の広場で自らの生存をかけて必死で餌にありつこうとする鳩たちの姿が「可愛い、他愛ない存在」として映るのだろう。それは、2歳の孫がティッシュ箱からティッシュペーパーを無限に取り散らかしている姿を延々と眺める好々爺のような顔つきで、「よしよし、よー食べよるわ、もっと食え食え、元気が一番じゃ」と言わんばかりの大らかな表情であった。地上20㎝くらいの高さで蠢(うごめ)く鳩の本能や生(せい)への執着を遥か上方(地上160~170㎝)から見下ろすその視点はまるで人間の所業を見守る神の目線であるかのように、僕には思えた。例えば長年勤めた会社を定年退職し、現在は地域に貢献する職務に従事しながら悠々自適に老後を暮らす彼らからすると、仲間を押しのけてでも今日の食いぶちにすがりつこうとする鳩たちに食パンを与えることは無邪気な施しの目線であり、それは自らの生死を分かつことのない余裕や余剰から生まれたパンである。
別に僕は「鳩や野良猫に餌をやる人は偽善者だ」と断罪しているわけではない。勿論、自分自身が飲まず食わずの状態であるにもかかわらず、空腹の他人にパンを分け与えることができる人は圧倒的に優しい。しかし、いとも簡単にそれをやってのけることができる人は実際のところかなり少数派だろう。だから、人が見せる優しさとは「自らに危険が及ばない距離からの施し」がほとんどだろうし、人間とは結局のところ、大なり小なりの偽善者であることが本質であるとも思う。溺れる人に向かって陸からロープを投げることと、沈むボート上でひとり分しかない浮き輪を他人に譲ることの間には大きな隔たりがあるし、「祖父母が孫に優しいのは子育てに対して責任が軽い立場だからである」みたいなことも散々と言われてきた。つまり、優しさの大半は距離感の問題だったりする。だからこそ、駅のホームから転落した人を線路に飛び降りてまで救助する人からは、その距離を一瞬で縮めてしまう善の瞬発力を感じて(僕みたいな人間は)もはや畏れに近い感情を抱いてしまうのだ。
優しさや怒り、つまり感情移入の観点から距離感を視覚的に利用したものに「映画におけるカメラアングル」というものがある。カメラを構える位置が高くなればなるほどその映像は感情が取り払われた客観目線を意味し、低くなればなるほど(つまり被写体の目線に近づけば近づくほど)主観目線になる。クレーンやドローンを使って上空から映し出された映像は、ほとんど下界を見下ろす神の冷静な目線の様であり、面と向かって話しかけられる等身大のアングルは鑑賞者に当事者意識をもたらす。トリュフォーの『大人は判ってくれない』におけるアントワーヌ・ドワネルの独白シーンや、(おそらくはそれを模したものと思われる)『万引き家族』における安藤サクラの面会シーンが僕らの感情を揺さぶってくるのは、演技そのものが素晴らしいことに加え、カメラアングルに依る部分が実は大きい。是枝監督の作品にはラストシーンを上空からのアングルで締めくくるものが多く、本編中で濃密に描かれた人間ドラマを最後に空中から見下ろすことで、鑑賞者に対して「ところで、あなたはどう思いますか?」というドライな問題提起を投げかけているようにも感じる。
上空から撮影されるキエフ市内への爆撃シーンと、カメラに向かって切実に訴えかけてくるウクライナ市民のインタビュー映像が交互に映し出されるニュースを見ていると、主観と客観が交錯し、混乱した感情が芽生えてくる。戦争による破壊行為や大量の死など、誰も望んではいない。しかしフェイクとリアルが混在した情報がネット上で錯綜し、各国のプロパガンダが応酬し合う心理戦を目の当たりにすると、現代社会の中では現実との距離感を掴むことがなんと難しいのだろうと悲しくなったりもする。ただ一つ言えるのは、今起こっている戦争は現実のものであり、フィクション小説や映画なんかでは決してない、ということだ。ウクライナ市民やロシア兵を、自分にとってかけがえのない近親者に置き換え、想像してみた時、僕らの瞳に映るのは果たしてどのような光景だろうか。
ジョン・レノンが「想像してごらん」と歌ったあの曲が今も世界中で人々の心を動かし続けているのは「I hope someday you’ll join us」という歌詞の一節に込められた「わたし」「あなた」「わたしたち」という三つのワードが、平和という壮大なテーマのカメラアングルを一気に当事者(僕ら)の高さまで引き下ろしたからかもしれない、なんてことを思いながら僕は鼠色をした鳩の群れを眺めていた。
<2022年4月執筆・2024年一部改訂>
2024.02.06