笛を吹いてアルコール

『やきとんと野球帽』

池袋のやきとん屋では、レジ前のカウンター席が僕の定位置だ。ここに座っていると会計するお客たちの人間模様を観察できるし、レジ横の焼き台にいる藤田さんと他愛ない会話を交わすのが楽しみでもある。

 

或る昼下がり、二階から降りてきたお客が会計を待ちながら僕の方をじっと見下ろしている気がした。なんとなく彼の下半身に目をやると、左腰に「THOM BROWNE」というブランドタグが見えた。紺色の鹿の子Tシャツに水色のコードレーンパンツを穿いている。「小汚いやきとん屋に、お洒落なお客が来るもんだ」と思っていると、頭上から「その野球帽、どこで売ってるの?」と声がした。見上げると60歳前後の初老男性。僕の野球帽にはエンジ色のボディに白い刺繍糸で漢字の「宇」が書いてある。「これは立石のもつ焼き屋『宇ち多゛』のオリジナルです」と答えると、男性は「へぇ~、お洒落だねぇ」と感心しながら出ていった。

 

しばらくして藤田さんが僕の方に近づいてきた。「それ、立石の帽子なんだ」「はい、後輩から貰った、とても大切なものなんです」「それにしても陽の角度が変わったな」と出入口の外を見上げながら藤田さんが言った。「はい、だいぶ傾いてきました。夏も終わりですね」と僕は返した。

2023.10.02