笛を吹いてアルコール

『上海蟹食べたくない』

僕はエビ、カニなど甲殻類の食べ物が嫌いだ。厳密に言えば「味は好きなんだけど殻を剥くのがメンドクサイ」。 寄せ鍋のエビや蟹汁のカニなど、汁に浸っている甲殻類があれば隣の人に「食べていいよ」と言って譲ってしまう。 逆に、 誰かが代わりに殻を剥いてくれたカニの身が目の前のボウルに山と盛られていればきっとエンドレスで食べ続けるだろう。同じ理由でカニちらしやエビフライは食べる。何かとてつもないわがままを言っているような気にもなってきたが、ともかくこれはすべて「食べたい < メンドクサイ」という感情から派生するものだと思っていた。しかし。

 

この前、居酒屋で焼き魚(ホッケだったか、サバだったか)を食べていて、ふと思った。「焼き魚の身を骨からはずして食べることはメンドクサイと思っていないな、俺」と。むしろ「頭部や背骨についているわずかな身を執拗に探しながら綺麗に食べる」というチビチビした工程そのものを楽しんでいるようなフシさえある。あれ、なんでだろ?「食べたい > メンドクサイ」に逆転してるじゃん。疑問が湧き出す泉の所在を追求すべく、甲殻類を食べるときの自分の動きと焼き魚を食べるときの自分の動きを頭の中で映像化し、一連の流れを脳内でコマ送りと逆再生にかけながら検証してみた。右手に持ったチューハイのジョッキを傾けながら。

 

まず、焼き魚を食べるとき。背中側とお腹側では油の乗り具合が違うので、魚の種類によっては食べる順番をなんとなく考えながら(サンマの場合はハラワタを食べるタイミングなど)バランスを取り、骨から身をはずしていく。合間合間で頭部の周りにある眼肉やほほ肉などを掘ったりもする。口に運ぶ。傍らに置いてあるチューハイを一口飲む。うまい。ボウルに盛られたカニの身を食べるとき。箸でおもむろに剥き身の塊をダイナミックにつまみ、口に運ぶ。傍らに置いてある白ワイン(場合によっては日本酒)を一口飲む。うまい。いまのところ、何ら問題ないようだ。甲殻類を剥きながら食べるとき。両手を使ってエビやカニの殻をはずしていく。カニ用のスプーンなどで身を掘り出しながら口に運ぶ。うまい。傍らに置いてある…ハイ、ここで一時停止。

 

そこだ。

 

手に掴んだエビの尻尾、またはカニの殻。汁っぽい。びしょびしょだ。おしぼりで手を拭いてからじゃないと、グラスを持てない。僕がメンドクサイと感じている瞬間はそこにあった。おそらく、僕はつまみが喉を通ったその後、味の余韻があるうちに間髪を入れず酒を飲みたいのだ。そういった一連の流れの妨げになるステップとして「逐一、おしぼりで手を拭く」という行為を邪魔に感じている。つまり僕は甲殻類を剥いて食べるのが嫌いなわけではなく、手がびしょびしょやベタベタになるのが嫌いなだけだった。世界の山ちゃんで、手羽先を積極的に食べない理由も同じだろう。

 

しかし多少乱暴な言い方をすれば、基本的に人類は皆めんどくさがり屋である。だからこそ、様々なことを効率化・スピードアップするため、あらゆる技術に革新を求めてきた。おかげで、今や大抵のことは携帯電話ひとつ、つまり掌の上で済ませられるようになった。ならば、僕の「メンドクサイ」の中にこそ活路がある。チャンス到来、一念発起。こうしてその後の僕は、5年の歳月と1200万の資金をかけて「甘辛だれの手羽先に手を触れないで骨から肉をはずすことが出来る剣山状の食器」や「カニの殻をメキメキと潰しながら身だけを押し出して口に運ぶことが出来るハサミ」などの便利アイテムの開発に身を捧げるも、ちっとも需要がなくて没落、居酒屋のカウンターでカニカマを箸でつまみながら安チューハイのジョッキを傾けて「へへへ」と薄ら笑みを浮かべる斜陽の人生を送ることになるだろうとは、まだ知る由もなかった。

 

殻ぐらい、自分で剥け。

2023.11.28