笛を吹いてアルコール

『ゆれる』

夏。この猛暑のせいで居酒屋の各店は空調をガンガンに効かせている。壁に掛けられた短冊メニューがクーラーの風に吹かれて揺れている。

 

「もずく酢」「もつ煮込み」「たらこ茶漬け」「焼うどん」…、そのどれもがこちらに向かって手を振りながら「僕を注文してよー」とアピールしているように思える。みんな可愛らしい。しかし、こちらの胃袋は一つしかない。揺れる短冊の中から、手のスウィングが最も大振りでダイナミックなものを選べば、「梅茶漬け」か「ライス」ということになるのだが、入店して3分の僕はまだ〆の一品を頼むわけにはいかない。如何に僕が酒好きであろうとも白飯で焼酎を飲むほどには、まだ熟練しておらぬ。

 

そもそも、手をブンブンに振っているあのあたりは単純にクーラーの風当たりが店内で最も強いだけ。彼ら(もはや短冊メニューを擬人化)のアピールを純粋な心で受け取ってしまえば、いずれ僕が退店した後も違う客に対して同じような愛想を振り撒いている「梅茶漬け」に対して、僕は勝手に幻滅してしまうことだろう。「結局、お前は(食べてもらえさえすれば)誰でもよかったんじゃねーかよ」と。そんな煩悶を乗り越えた結果、僕は短冊メニューたちのアピール光線を切って捨て、向かいのカウンターで壮年サラリーマンが食べているジャーマンポテトに視線を移した。おっさんはゆっくりと、しかし確かな箸取りで、しっとりと炒め上げられたジャガイモ・ウインナー・玉ねぎを口の中へと運んでいる。皿の片隅にはケチャップとマヨネーズが鎮座しており、ときおり彼ら(もはやケチャップとマヨネーズすらも擬人化)はジャガイモに味の華を添えている。とりあえず僕は軽薄な短冊チームを無視し、目の前のあなた、つまり壮年サラリーマンだけを十二分に満足させている「ジャーマンポテト」の誠意にベットしてみることにした。

 

しばらく待って、僕の卓に届いたジャーマンポテトの皿にはケチャップもマヨネーズも添えられていなかった。紅白の色彩を欠いた皿の上は、只々茶色い。しまった、あの壮年サラリーマン(以下、SS)が食べていたジャーマンポテトは彼だけの特注品だったのか。世の中はなにも「誰にでもいい顔をしようとするメニュー」と「誰かにだけ特別な顔を見せるメニュー」のふたつに綺麗さっぱり分かれる訳ではないのだ。SSのポテトにケチャップとマヨネーズが添えられていたのは、彼がジャーマンポテトに対して「できる限り君を美味しくいただくよ、たとえ他人の手を煩わせることになったとしてもね」という熱意を隠すことなく、(メンドクサイ客化への躊躇を乗り越えて)強い意志で「特注依頼」を実行したからであり、僕のジャーマンポテトがSSの皿と同様でなかった訳は「特別な顔を見せてもらうための努力」を怠り、漫然とあぐらをかいたままでも「他人が食べている美味しそうなものに便乗できるだろう」と過信したからである。

 

だからといって、今さらのタイミングで「すみません、ケチャップとマヨネーズを付けてください」とコールしてしまえば、それはいま僕の目の前にあるジャーマンポテトに対する侮蔑、すなわち「思ってたのとちょっと違ったから、こちらで勝手に手直しします、あしからず」と宣告する行為に等しい。そこまでの冷血漢に徹する覚悟ができない僕は茶色一色のジャーマンポテトを最後まで完食(結果的に、それはそのままでも十分に美味かった)したそのあとで、「アスパラフライ」を注文する際にすかさず「すみません、横にマヨネーズを添えて下さい」とスタッフに伝え、中濃ソースとマヨネーズを使って代わる代わるアスパラガスを凌辱した。

 

その間もずっと、「ライス」がこちらへ向かって大きく手を振り続けている姿が、関節視野の隅っこでチラチラと見えていた。

2023.10.02