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笛を吹いてアルコール
『忘却とラザニア』
秋。夕暮れ。三福のカウンター席に座って、かつおの刺身とか、(この店にしては珍しい)ミミガーとかを食べながらチューハイのジョッキをあおっていた。しばらく経って、もう1杯半飲んだら席を立とうと思い、最後のフードオーダーは何にしようかとぼんやり考えていた。つくねタレ。豚バラ串。ハムカツ。目の前に貼り出されたメニューを見ながら、なんとなく思いを巡らせていたところ、5つ隣のカウンター席付近から「ラザニア、イッチョ!」というオーダーが通る声が聞こえてきた。ぁあ、ラザニアね。この店のラザニアは家庭料理的というか、三福は薄汚いやきとん屋なので当たり前なんだけど、たまに見かける「うちのラザニアは洒落たビストロ風の本格ラザニアです、こだわってます、凝ってます」みたいな自己顕示の圧が皆無で、さっぱりと好感の持てる味だった気がする。僕は馴染みのホールスタッフ・ミスタに向かって手を挙げると、ラザニアを注文した。余談だが、同じく自己顕示という観点で「軟骨を混ぜ込んだつくねを棒状に握りしめたものを竹串に刺した上から更に卵黄を乗せるような小賢しい料理」を出してくる店が、僕は嫌いだ。
その後、我を忘れて(?)考えごとを続けていたのだが、ふと「そういえば、俺のラザニアはまだ来ないんだっけ?」と思った。何分前に頼んだのか、正確には覚えていないけれど、そろそろ20分くらいは経った気がする。「遅い?オーダー通ってないかも?」という顔をしていたかどうか自分でも分からないが、なんとなく「あれ?」という表情で空(居酒屋の天井)を見上げたのだろう。斜め後ろにいたミスタがバタバタと階段を駆け上がっていった。その後すぐに、2階(やきとんや焼き魚は一階の焼き場が担当するが、揚げ物やオーブンものは2階で焼く)から「ラザニアは?マダ?!」と叫ぶミスタの大きな声が聞こえた。
安心した僕は(もしもオーダーが通っていないのだとしたら、ラザニアはキャンセルして帰ろうと思っていた=最後の1杯になるはずだった)目の前にあるジョッキに半分残ったチューハイを飲み干して、おかわりを頼んだ。そのおかわりのオーダーを取りに来たミスタが僕に「あと2分くらいで、ラザニア、キマスカラ。スグ」と告げた。複雑なオーダーの掛け声がせわしなく交錯する、17ものカウンター席を切り盛りしながら、いつの間に僕の何気ない仕草を見ていたのだろうか?
僕は、心の中で「キミは本当に優秀な子だね」と思いながらも、口ではミスタに向かって「大丈夫だよ、ありがとう」と言った。そして「人から忘れ去られていない」ということは、ちょっとした幸福であるとも思った。
2026.10.21