column『ニューエラという言語』
column『ニューエラという言語』
三福で飲んでいると、入口から若者。 「あのー、スミマセン。昨日、来て。あのー、ニューエラのバケハ、忘れたんスヨ」 受けて、藤田さん 「え?」 若者が続ける 「あのー、忘れたんスヨ。バケハ…えっと、帽子っス」
COLUMN
三福で飲んでいると、入口から若者。 「あのー、スミマセン。昨日、来て。あのー、ニューエラのバケハ、忘れたんスヨ」 受けて、藤田さん 「え?」 若者が続ける 「あのー、忘れたんスヨ。バケハ…えっと、帽子っス」
いつもどおり、池袋・三福のカウンター。もうそろそろ70代後半かな?と見える、杖をついた紳士(ストローハットとネイビーシアサッカーのジャケット姿)が僕の隣席に着席。座りながら「生ビール、ひとつ」とオーダーした。続けてホールの子に「俺、初めてだからどこ見ていいか、ワカンナイや」と告げる。ホールスタッフのミスタがホワイトボードと卓上メニューを指さしながら「ココとココに(メニューが)書いてあるヨ」と答える。彼の方を見ることなく、耳だけでなんとなくそちらの様子を窺っていると老紳士は「かつお刺し」を注文し、そのすぐ後に「あと、アレ、なに?え、もつ煮込み?じゃあ、それをひとつ」と続けた。
いつもの池袋。行きつけの居酒屋。藤田さんに魚でも焼いてもらおうと思いながら、いつもの暖簾をくぐる。くぐりながら、今日は藤田さんがいないことを即座に認識して(藤田さんは入り口すぐの焼き台前が定位置だから)ちょっと拍子抜け。とりあえずカウンター席に着き、自動的にチューハイが運ばれてくる。 「そうか、藤田さんはいないのか」とあたりを見回したところ、1階のホールスタッフは見慣れない顔ばかり。しかし、ほぼ満卓。「おお、今日は新入り中心シフトの日なのに、こりゃ大変だ」と老婆心。実際のところ、フロアはちょっとカオティック。オーダーが通らない、店内の階段に並びながら待つ客の中には「いくらなんでも……
もう半年くらい前の話だろうか。行きつけの居酒屋のカウンター席で一人、ぼんやりとチューハイを飲んでいた。入り口に一番近いその席の前にはレジがある。レジの背後には二階席へつながる階段がある。焼き場を切り盛りする大将と軽い雑談をしたり、二階から会計に降りてくる人々の様子をなんとなく観察したりしながらボーっとできるので、店内の隅っこにあるその席は僕のお気に入りだった。 一階にある焼き場の大将・藤田さんは僕の顔を見ると「今日は鯵がいいぞ」とか「サンマだな、今日は」などと焼き魚をオススメしてくれるので、その晩はカマスの開きをチビチビと箸でつついていた。そのうちに、二階から降りてくる男二~三人……
僕はエビ、カニなど甲殻類の食べ物が嫌いだ。厳密に言えば「味は好きなんだけど殻を剥くのがメンドクサイ」。 寄せ鍋のエビや蟹汁のカニなど、汁に浸っている甲殻類があれば隣の人に「食べていいよ」と言って譲ってしまう。 逆に、 誰かが代わりに殻を剥いてくれたカニの身が目の前のボウルに山と盛られていればきっとエンドレスで食べ続けるだろう。同じ理由でカニちらしやエビフライは食べる。何かとてつもないわがままを言っているような気にもなってきたが、ともかくこれはすべて「食べたい < メンドクサイ」という感情から派生するものだと思っていた。しかし。 この前、居酒屋で焼き魚(ホッケだったか、サバだったか……
或る夕暮れ、いつもの店にふらりと立ち寄ってみたところ、メインカウンターが満席だったため店内最奥の小さなカウンターに通された。そのカウンターには60代のおじさんが先客として座っており、僕は彼の隣に着席した。横並びになった僕とおじさんの背後には4人席のテーブルがふたつ配置してある。テーブル席の片方には女性4人組が陣取っている。 僕が席に着いた時点で女性4人組の会話は既にヒートアップしており、僕とおじさんの背後から飛んでくる声量はかなり大きい。チューハイが運ばれてくるまでの間、なんとなく彼女たちの声を聞いていると、リーダー格の1人が口角泡を飛ばしながら弁舌捲し立て、会話の大部分を支配し……
10月の終わり、池袋の居酒屋。ゆれる短冊に「焼きさんま」とある。しかもよくよく見ると「焼きさんま(生)」と書いてある。ぁあ、まだ暖かいけど秋だ。旬。どうしようかな、とりあえず目の間にあるまぐろ納豆とツナサラダを食べながら考えるか。とその時、隣に着席したサラリーマンが「ホッピーと、焼きさんま」と素早くコールした。 あ、やられた。これでは、あとで頼んだときに「俺の真似したな」と思われる。いや、どーしよー、なんて考えているうちに、隣のさんまがテーブルに運ばれてきた。 見てしまった。その姿を見てしまったから、ますますやられた。なぜなら「真似したな」だけではなく「俺の席に運ばれてきた美味そうなさんまを見……
もう、かれこれ7~8年くらいの間、僕が通い続けている1軒の居酒屋。いつも1階のカウンター席にひとりで座るんだけど、通い始めて3年が経つ頃から焼き場を取り仕切る「藤田さん」という60代の大将に話しかけられるようになってきた。基本的には静かに飲んでいる僕も藤田さんに話しかけられると普通に受け答えをするが、15席が1列に並んだカウンターではどのお客も静かにひとり飲みを楽しんでいるので、会話の尺は周りの空間を邪魔しない最低限のものになる。いつからか、その藤田さんが僕にメニューの中からおすすめを提案してくれるようになった。 この店は「やきとん屋」なので、初めのころは僕も普通に「はつ」や「か……
池袋のやきとん屋では、レジ前のカウンター席が僕の定位置だ。ここに座っていると会計するお客たちの人間模様を観察できるし、レジ横の焼き台にいる藤田さんと他愛ない会話を交わすのが楽しみでもある。 或る昼下がり、二階から降りてきたお客が会計を待ちながら僕の方をじっと見下ろしている気がした。なんとなく彼の下半身に目をやると、左腰に「THOM BROWNE」というブランドタグが見えた。紺色の鹿の子Tシャツに水色のコードレーンパンツを穿いている。「小汚いやきとん屋に、お洒落なお客が来るもんだ」と思っていると、頭上から「その野球帽、どこで売ってるの?」と声がした。見上げると60歳前後の初老男性。……
夏。この猛暑のせいで居酒屋の各店は空調をガンガンに効かせている。壁に掛けられた短冊メニューがクーラーの風に吹かれて揺れている。 「もずく酢」「もつ煮込み」「たらこ茶漬け」「焼うどん」…、そのどれもがこちらに向かって手を振りながら「僕を注文してよー」とアピールしているように思える。みんな可愛らしい。しかし、こちらの胃袋は一つしかない。揺れる短冊の中から、手のスウィングが最も大振りでダイナミックなものを選べば、「梅茶漬け」か「ライス」ということになるのだが、入店して3分の僕はまだ〆の一品を頼むわけにはいかない。如何に僕が酒好きであろうとも白飯で焼酎を飲むほどには、まだ熟練しておらぬ。……