WORKS

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DEAD KENNEDYS CLOTHING

『DEAD KENNEDYS CLOTHINGの所信表明』

NEJIが独立して、あっという間に1年半が経ちましたが、そもそもなぜ僕が自分のブランドを立ち上げてまで洋服を作っているのかという話はあまりしてこなかったし、他人からそれについて尋ねられることもなかった(当然、なのか?)。
まぁ、25年も洋服屋を続けてきたわけだから、いまさら自分がファッション以外のこと(だけ)で食っていくのは実際に考えづらいわけなんですが(自分にはファッションしかできない!とは思っていないけれど、いまだにファッションへの執着は無茶苦茶ある)とはいえ今のご時世、ファッションブランドなんて掃いて捨てるほど存在するので、別に僕が作らなくても洋服なんてどこかの誰かが作ってくれる。し、自分が欲しいものが世の中にないから自分で作りました、と無邪気に言えるほど世の中のことを知らないわけでもない。実際、大概はもうあるしね。つまり、僕にとっての洋服作りは、僕がやらなくてもいいことなんだけど、僕がやりたくてしかたがないこと。思えば、NEJIでやっている仕事なんて「なくても困らないこと」の集積でしかない。
だからこそ、要らん要らんという状況の中で作るのであれば真面目に、というか「やっぱり、こういう感じの服もあった方が良い(楽しい)よね」と言われるように、ちゃんとやりたい。2年前、洋服の生産について周りの人々にあれこれと相談したところ、国内屈指のオーダーシャツ屋さんやオーダースーツ屋さんが(前職時代の後輩がうまく取り計らってくれたおかげで)協力してくれることになった。欲張ると散らかるタイプなので、自身の服作りに関してはドレス(縫製)アイテムに限定するつもりですが、僕が望むクオリティは言わずもがな、結果的に(注文服屋さんだからこそ)世の中の要らん要らんという状況の中で僕が望む分「だけ」を作ってもらえるという恩恵にもあずかっている。勿論、安いんですよ。たくさん作る方が。で、勿論、高いんですよ。たくさん作らない方が。でも、世の中の要らん要らんという状況の中で(僕が主体となって)わがままに作るブランドの質量には限度があると思っているから、値下げしてもまだ余るくらいの量は、やっぱり「僕には」要らんのです。当然、ある程度の数量を作った方が世の中に対してのインパクトはあるし、世界(システム)を変えるきっかけになったりするとは思うんだけど、それもまた、NEJIの戦場ではないというか。別に革命家じゃないんで。
つまり、日本の食料自給率を上げるための壮大な動きとかじゃなく、「うちの家庭菜園で採れたトマト、とても美味しくできたのでよかったら」というスケール。当然、こういった小さな動きが同時多発的に興れば、やっぱり少しくらいは世の中が変わるし素晴らしいけれど、それはあくまでも他力を含めた結果なので、使命感に駆られてヒステリックに「なぜ、お前らはやらんのじゃあ」と否定気狂いになることもない。啓蒙と押し付けは違うし、結局のところ、どれだけ他人を片っ端から否定してまわったところで、それが自分自身の肯定につながるとは限らないんです。そもそも「世界のことを勉強して出直してこい」的なマウント愛好家が世界を救う姿とか見たことないし、逆効果。
そういえば10数年前に堀切さんとシャネルについて話していて「彼女は個人的な人である」という意見で一致した記憶がある。だから、やっぱり僕にとっての洋服作りは、僕がやらなくてもいいことなんだけど、僕がやりたくてしかたがないこと=極・個人的。周到に市場を意識しながらニッチに取り組むまでもなく、自分勝手にやってれば自然と周りからズレちゃう自信だけは昔から不思議とある。ローファイ人間なのかな。
というわけで、NEJIによるブランド・DEAD KENNEDYS CLOTHINGが展開するのはNEJIの妄想を形にしたエレガントでエキセントリックでパーソナルなドレスアイテム群。いまのところ、お手に取っていただける機会極少で申し訳ないのですが、どうぞ、引き続き御贔屓に。

 

 

2024.08.03